台湾に来てからも、沢山の小籠包を食べています。

知り合った人やら宿の人に
「美味しい小籠包、餃子のお店知ってますか?、僕達は日本で小籠包の屋台をしてます」
って感じで。
why it is 小籠包?





さかのぼって、
8年前に半年間、アジア、ヨーロッパへの旅へ出掛けました。
きっかけは当時、ドイツのベルリンに住んでいた友達に会いに行こうと思って。
どうせ行くならドイツだけではなくて、行きたい所全部に行こうと思って。
お金は無かったけれど、時間は無限にある様な旅でした。
暫く日本を離れて、1人でいる時間が長いと色んな事を考える時間があって。
その環境はとても良かった。
大袈裟かもしれないけど、今まで自分が育ってきた環境や、自分の国のルール
、自分がしてきたことやら。
中々普段毎日を過ごしていると、次はあれ次はこれをしなこればいけないと、自分にゆっくり向き合える時間も作れなくて。
結論、自分がドキドキしていられる様な、好きな事をするしかないなーって思って。
そんな旅の最後に出会ったのが小籠包。
タイから中国まで陸路で歩んで、中国からは船で大阪に。
ラオスって国から中国に入ったときは、懐かしい醤油味の料理に感激しまくって、「焼餃子、焼餃子はある?」って聞きまくって。
大体の国では少しの英語が通じるんだけど、中国の田舎は別。
全く英語が通じなくて。
それでいて、中国語で焼餃子は「鍋貼 グオティエ」って言って、全く違うことばだし、中国は焼餃子はあんま無くて、蒸し餃子とか水餃子だったりで、みんなポカンとした顔してて。
でもあの国境超えてからの、醤油、中国料理感やばかったな~。
これこれ!みたいな。笑
そう、それで泊まってた安宿の前にあった小籠包屋。
それまで小籠包食べた事が無くて。
名前は知ってたけど、焼売みたいなやつかな~って思ってた。
それでまず一口でパクリ。
汁がぶっ飛んで、メチャメチャ熱いし!
でもメチャメチャ旨かったね。
なんじゃこりゃー!!!
って。
自分の好きな要素がそこに詰まってて。
宿に帰って、横のベッドに寝てたアメリカ人に「とにかく、あれを食べた方がいい!って熱弁してて。笑
それからは今まで、ずっと小籠包と一緒。
帰ってから名古屋の小籠包屋に勤めて。
そこはチェーン店だったから、学べる事の限界がすぐ来て。
んで日本で美味しそうな小籠包屋食べ歩こと思って、東京に1週間小籠包巡りに
行って、そこで焼小籠包と出会って。
あ!俺がまず店を出すならこれだ。
って思って。
名古屋帰って、すぐ東京行く準備して。
絶対、焼小籠包を覚えたかったら、熱意があれば伝わるでしょ!って東京の焼小籠包のお店に行ったんだけど、熱意だけではダメな事もありますよ。
それで2番候補だったお店に行って。
そしたら、こんなさっき名古屋から出てきました、家?ないです。
僕は小籠包にマジなんです!
みたいな、今思うと中々普通に見れば怪しかったのかな~って自分を拾ってくれて。
その日から中国人との共同生活が始まり、それは刺激的な毎日でした。
点心師にとって、レシピは財産です。
それがあるから、日本から高い給料を払って中国より来てもらう。
しかしそのお店も、まああんまり上の人達が良くなく、潰れてしまいます。
結局給料も無くみんながバラバラになりました。
点心師のおじいちゃんもその一人でした。
自分はいつも上の人と喧嘩ばかりで、なんかもう煙たがられていた状態だったので、お店が潰れる前に辞めていました。
その時はもう中国人との生活から、1人暮らしになってた事もあって家賃もあったしね。
でも自分は何としてでも焼小籠包を作りたかったから、その点心師のおじいちゃんにどうにか自分の気持ちを伝える作業をいつもしてて。
少しずつ仲よくなっていったんだよね。俺もおじいちゃんの事尊敬してたし。
それで、いつか中国に遊びに来いって言ってくれて。
その後にお店が無くなって、おじいちゃんが中国帰ったって他の人から聞いた時は、あ~そうなんだーって思って。
その時自分は、もう中国に住むしか方法ないなーって思って、まず下準備で見に行こうと思ってて。
それで中国の上海に行って色々見てて。
そん時に思い出したんだ。
あーおじいちゃん来いって言ってたなーって。
んで中国から、日本に住んでるおじいちゃんの友達に連絡して、会いたいんですけど会えますかね~って。
その人はよくお店に食べに来てた中国人のおばちゃんなんだけど、なんか俺をすごく気に入ってくれてて。
最後は中国人の娘を紹介するから結婚しろみたいなよくわかんない感じだったんだけど。笑
中国のおばちゃんで、最終的にうちの娘と結婚しろみたいな人たまにいるね。
why it is japanese men?
笑
まあそれはいいんだけど、
とにかくそのおばちゃんが点心師のおじいちゃんに連絡してくれて、翌日におじいちゃんが宿まで迎えに来てくれました。
なんか、今思うと奇跡みたいな感じで。
すれすれ、何が欠けてもこうはならなかったかなと。
おじいちゃんはびっくりしてた。
マジで来るとは思わなかったって。
でもそれで伝わったんだと思う。
この時おじいちゃんから教えて貰った焼小籠包が基礎となって、改良を重ねて。
その後、東京・北千住で人生の師匠と出会います。
これはまた今度書きたいと思います。
そして1人で始めた夢も、2人の夢へとなり。
これが、今の樹苞(きぼう)の焼小籠包。
今思い出しても、自分の青春の中の1ページ、僕の心を豊かにしてくれます。
恩返しは、自分達が自分達らしく立派にやっていく事だと思っています。
食べてくれた人に喜んで貰えるように。
幸せー!って思って貰えるように。
人生を楽しんで貰えるように。
精一杯、自分を生きて行かねばなりません。
生きている時はとても短いと思います。
自分らしく。
楽しく。
chan-krow
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